2017年3月4日土曜日

Without knowing

Environment and Development 環境と開発

どうしても頭から離れない。この世界には理不尽なことが多い。しかし、それのほとんどが理論に基づく功利主義。前提や現実の実証があり、その話に基づき、現在の状況を踏まえ決断している。ここには正当な理由があるように思いがちだが、

前提や現実の実証が間違っていたら?

情報の行き違い?100%間違っていないという確証の元、すべての活動や開発や政治が行われるのであれば、正当で理想の世界ができるのだろうか。石原元都知事やトランプの活動に対する批判と賛同が頭を混乱させる。

現在の状況は富裕層と貧困層と中間層では違うのでは?

政治的なことはわからないが、踏まえるべき状況は人によって違うということは間違っていないだろう。トランプが持っている状況と現実とのギャップがあったとしても、決断するのは個人。何かトランプには大きな思惑があるように感じる。

「環境」は自然環境の意味で、

この世界が環境破壊により住みずらい世の中になったのかどうかすら、貧困層にはわからない話。
開発により、いつの間にか環境が壊れるとしたら。いつの間にか人が死に消えていくだけの話。

自分らが住んでる場所少しでも住み心地のいいものにしようと世界中の人間が生きている。自分から最悪の事態に追い込むわけがない。火星移住や他の惑星に移住は現実的ではないので、置いといて。


言うか言わないかは置いといて、開発の中に必ず環境に対処する方法は必須で置いとかなくては頭が悪い。

必ずその対処は出来ているはず、しかし前提に「自分たちの環境をよくするためだけのもの」でその他の環境ではないはずです。

開発が環境問題を解決するはず。いつのまにかね。。





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